家族のいる方、友人のいる方、恋人のいる方、そしてすべての車好きの方へ。

初投稿です。

 

私は先日、運転していた車でガードレールに激しく衝突してしまうという事故を起こしてしまいました。

幸い同乗者はおらず、誰もケガさせることなく、自分もこの通り不自由なく生活できております。

ですが、事故後の車の状態を見ると、そのことが本当に奇跡であるかのように思えるほど、酷い姿となっておりました。

 

事故の詳細を話しますと、そのとき私は友人とそれぞれの愛車で群馬県へドライブに行っておりました。

私は子供の時から車が大好きで、今年の初めに免許を取ってはずっと欲しかった車を買い、ここ数か月は自慢の愛車を乗り回す日々でした。

そして自分の車を買った際にはいずれは訪れてみたかった、群馬県の山々へついに足を運んだ時の出来事でした。

漫画やアニメでずっと見てきた景色の中を愛車で走る陶酔感と、前を走る速い車に追いつかんという高揚感のあまり、下り坂の長い直線で少しスピードを出しすぎてしまっていました。

道の先にカーブが見えた(コース自体は知っていたのできついカーブが来ることがわかっていた)ので、ブレーキを踏もうとしたその時、路面の凹凸に車が跳ね、ブレーキが全く効かなくなってしまったのです。

パニックに陥った自分はどうすることもできず、そのままガードレールに正面から突っ込んでしまったのです。

フロントガラスが砕け散り、目の前には白い煙が上がり、車内には異臭が立ち込め、車の悲痛な叫びかのようなクラクションが鳴り響き、口の中には血の味が広がる。

幸運なことに頭は打っておらず、意識ははっきりありました。だからこそ、事故当時の様子は今でも鮮明に蘇ります。

慌てて車から出た私は、後ろを走っていた友人に110番通報を頼み、安全な場所へ避難しました。

そのとき私は自分の身体のことよりも、大破させてしまった車のことで頭がいっぱいでした。

その後レッカーで運ばれた車の様子を確認すると、あまりの無残な姿に、ショックを隠し切れませんでした。

人間に例えるなら、誰だか識別できないほど顔面は崩壊し、両腕は逆方向に曲がり、心臓はむき出しになった状態で辛うじて動いているといった状態でした。

あれだけ大切にしていた車に、何故こんなことをしてしまったのか。パールホワイトのボディに汚れがついては洗車し、走行時に奏でる美しいエンジン音に心酔し、この先何年も乗り続けると心に決めていたのに、何故それが叶わなくなってしまったのか。

そして何故、今自分はこうして五体満足でいられているのか。

事故当時は意識がはっきりしていたため、救急車は呼ばずに友人の運転で病院へ運んでもらった私は、唇を5針縫うケガはしたものの、それ以外には左腕の内出血と軽度な首のねん挫だけで済んだのでした。

ここまで軽傷で済んだのは、もはや奇跡としか言いようがないでしょう。

頭を打ったり首を損傷したりしていたら、半身不随や植物人間はおろか、命を落としていてもおかしくはなかったはずです。

もしくはガードレールを突き破って転落していたら、あるいは対向車と正面衝突していたら、自分が生きる死ぬの話だけでは収まっていなかったでしょう。

自分が今、これまでと変わらぬ生活を送れているのは、紛れもなく「たまたま運が良かっただけ」であることは間違いありません。しかし、きれいごとに聞こえるかもしれませんが、私は自分の車が自分を守ってくれたという気がしてならないのです。

自分の身を挺し、変わり果てた姿となってまで自分を守ってくれたその車に、私はなんてことをしてしまったのだろうか。そして動かなくなってしまったその車に対し、私は何をしてあげられるだろうか。

私は今の時点ではとても車に乗る気にはなれませんが、またいずれ乗りたくなるでしょうし、また自分の車が欲しくなるでしょう。

自分が将来、どこで何に乗っているかは分かりませんが、ドライブの楽しさと怖さ、そして自分がこうして不自由なく生活できている幸せを教えてくれた初代愛車の存在を忘れないことこそが、最大の供養となるのかもしれません。

 

最後に、多大なるご迷惑をおかけしてしまった関係者様各位には、この場をお借りしてお詫び申し上げます。

また、せっかくの旅行を台無しにしてしまったにも関わらず、最後まで付き添ってくれて、自分の身を案じてくれた友人には、感謝してもしきれません。

そして、これまでも迷惑と心配をかけ続けてきた両親には、この先も頭を下げ続け、感謝の気持ちを伝えていきたいと思います。

車というのは、人間が生み出した非常に便利な道具であり、交通手段として現在利用している方も大勢いらっしゃると思いますが、心を通わせなければ思い通りには動いてくれず、たちまち凶器となってしまいます。

そのことを、このような経験までしなければ、ましてや大切な愛車を犠牲にまでしなければ理解することができなかった私ですが、この一連の出来事を一人でも多くの車好きの方に知ってもらうことが、今の私にできる唯一のことだと思い、投稿させていただきました。

拙い文章でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。